映画に見るお葬式

人の死を弔うお葬式。お葬式の様子はさまざまな映画の中に描かれてきました。

人が生きている以上、死は確実にやって来ます。それは避けられないことです。我々のご先祖様がそうであったように、われわれもいつか必ず死んでいきます。

最近は人々のライフスタイルの変化、そして考え方の変化から、葬儀の形も様変わりしてきています。

お葬式に対する考え方は、最近、大きく変わってきていますが、それでも、多くの人がお葬式を厳粛な儀式だと考えていることは間違い無いでしょう。

そのお葬式という厳粛な儀式を、初めてコミカルに映画に取り上げたのが、1984年の伊丹十三監督作品「お葬式」ではないでしょうか。この作品では、お葬式を初めて出す家族の戸惑い、そして周りの人間の姿が描かれ、言ってみれば暗いトピックであるにもかかわらず、「日本アカデミー賞」を始めとする、有名な映画賞を多数獲得する作品となりました。

また、お葬式を題材とした作品で大きく話題になったのが、2008年に滝田洋二郎が監督し、本木雅弘主演で公開された「おくりびと」でしょう。

この映画も、「お葬式」同様に「日本アカデミー賞」で「最優秀作品賞」を受賞し、本家のアカデミー賞でも「外国語映画賞」を獲得しました。「おくりびと」は「お葬式」とは、また違う雰囲気を持つ作品です。両作品には20年というギャップがあることから、単純な比較はできませんが、今回はこの2つの「葬儀」映画について少しご紹介したいと思います。

葬儀の映画

「お葬式」

お葬式

「お葬式」は1984年に公開された伊丹十三監督が手がけた初の映画になります。伊丹十三監督の妻でもある女優・宮本信子さんの実父が亡くなった際、喪主となった経験がストーリーのベースとなっています。個性の強い宮本さんは、以降の伊丹作品でも欠かせない存在感を発揮しますが、やはり映画としての原点は、この「お葬式」だと言えるでしょう。

出演俳優陣も強力でした。

映画の作品中でも俳優・侘助が役柄の主人公は山崎努さんが務めました。お葬式のことは全く知らず、挨拶が嫌でたまらない夫。愛人持ちで、だらしない男。お通夜の前に愛人と絡むシーンは強烈でした。

もちろん実体験がベースとなっているこの映画では、宮本さんは侘助の妻で女優の千鶴子を演じます。その他、菅井きんさんや大竹秀治さん、岸辺一徳さんなど、個性派の俳優さん達が作り上げる映画の雰囲気はコミカル且つオリジナリティーあふれるものでした。

千鶴子(宮本)の父親である真吉(奥村公延)が、心臓発作で亡くなったことから、葬式を出すことになり、侘助と慌てふためく家庭が描かれるストーリーです。お通夜は伊豆の別荘で行うことになりますが、なぜか当日になるとそこには侘助の愛人・良子が現れ…ドタバタに拍車がかかります。

これからお通夜だというのに、愛人・良子は酔っ払って騒ぎ出し、侘助は慌てて彼女を外へ。良子はここで「セックスしないなら関係を大っぴらにする」と脅し、そんな二人はその場で…

なぜかロールスロイスでお通夜の会場にやってくる僧侶。お通夜の最中に遊び始める子供達など、今から30年以上前に公開された作品ではありますが、「厳粛な」葬儀という儀式をここまでコミカルに取り上げるという伊丹監督の挑戦に脱帽せざるを得ないところです。

ストーリーは、告別式、火葬を終えて、無事に自宅へ戻るまで続きます。喪主挨拶を嫌がっていた侘助は、結局、挨拶せずじまいで、代わりに母親のきく江(菅井きん)さんが担当しました。参列者を見送った後、侘助、千鶴子、そしてきく江の3人は、葬儀の後片付けをするのでした。

この「お葬式」、私も何度か鑑賞しました。

お葬式には独特の雰囲気がありますよね?たとえばお線香の匂いだったり、花の香りだったり、畳の匂い…また、集まる人が作り出す空気感も、何か日常生活とは違う重々しさを放ちます。

この映画からは、お葬式のこういった匂いだったり、空気感だったりという要素が、画面からあふれてくるんですよ。侘助と良子の濡れ場は、当時、ものすごく衝撃的だったことを記憶しています。

東京の僧侶派遣

「おくりびと」

お坊さん

滝田洋二郎の監督作品「おくりびと」は、2008年公開の映画。実はこの作品ができあがるまでには、構想開始から長い時間がかかっているのです。

原作は青木新門さんの「納棺夫日記」という作品です。主演の本木雅弘さんは、1996年に青木さんを訪問し、作品の映画化を許可されたものの、その後、青木さんは脚本に難色を示します。その理由は青木さんがストーリーに落とし込みたかった宗教観が反映されていないこと、また、物語の実際の舞台である富山県ではなく、山形県が舞台に設定されていたことだとされています。

さらにその後、本木さんらの努力は続きましたが、映画化の許可は下りず、最終的には「違うタイトルで、全く別の作品」として映画化されることになりました。構想開始から12年をかけ、作品が完成したことになります。

小林大悟(本木雅弘)は、東京の管弦楽団でチェロを弾いていたものの、おりからの不況から興行が振るわず、楽団自体が解散してしまいます。職探しを始めた小林は、求人広告を頼りに、故郷山形へと戻ります。この求人広告が実は「納棺師」の仕事。実は小林は「旅のお手伝い」という文句に惹かれ、応募したのですが、社長(山崎努)はすぐに小林を採用。押し切られるように「冠婚葬祭業」への第一歩を踏み出すことになります。

小林は仕事の始めから、この「冠婚葬祭業」の洗礼を浴びることになります。なんと最初の現場が孤独死の高齢者だったのです。しかし、小林は厳しい仕事を経験しながらも、何か充実感のようなものを感じ始めていました。

しかし、閉鎖的な地域において、差別にも近い扱いを同級生らから受け、次第に心が揺れます。

ただ、社長がこの「納棺師」という仕事を始めたわけ、そして社長の「死」に対する思い入れを知り、仕事を続けることを決意します。

そんな折、小林に電報が届きます。宛名は既に亡くなった母宛。実はこの電報は、遠い昔に出て行った父の死を知らせるものだったのです。

小林は父の納棺のために北海道・帯広へと向かいます。

「おくりびと」で印象的なのは、やはり「いい男」本木雅弘さんが演じる小林大悟と、山崎努さんが演じる社長でしょう。

本木さんはインタビューの中で、20代の頃にインドを旅したことがあり、そこで死体を清め、納棺する人に遭遇し、衝撃を受けたことがあると語っています。

本木さんはその様子を「ミステリアスでエロチック」と表現しており、その光景が何か映画のようだったとしています。

映画を前にして、役作りのために本物の納棺師にも会い、実際に作法を教えていただいたそうです。女性の納棺師にも会ったそうで、本木さんは、その印象を、 一見「え、ブライダルのメークさん?」というような雰囲気なんですよね(笑)。本当にそれぐらい皆さん楽しそうにかつ、やりがいを持ってお仕事をされているようです。

と語っていたのが印象的でした。

そしてストーリーに深い味わいを加えているのが、社長役の山崎努さんでしょう。山崎さんと言えば、「お葬式」で主役を務めた俳優さんです。そう、山崎さんは日本映画界における「二大葬式映画」で重要な役柄を演じているんです。

山崎さんは「文学座」出身のベテラン映画俳優で、「世界のクロサワ」、黒澤明監督の「天国と地獄」で、誘拐犯役を演じたことで、世界にインパクトを与えました。

「世界のクロサワ」と言えば、生前の黒澤明監督は、葬儀に対して明るいイメージを持っていたことをご存じでしょうか?黒澤監督は、自身の監督作品「夢」の中で、ひじょうに印象的な葬儀シーンを描いています。この葬儀シーンの元になった考え方は、監督自身のコメントから感じることができます。

本来、葬式は目出度(めでた)いもんだよ。よく生きて、よく働いて、御苦労さんと言われて死ぬのは目出度い 名言ですね。

人生を振り返ったとき、この言葉に値するような生き方ができたと思えたなら、本当に幸せなことだと思います。

山崎努さんは、その後も時代劇や映画の世界で活躍し、必殺シリーズ「必殺仕置人」の「念仏の鉄」で不気味な雰囲気を醸しだし話題となりました。この「念仏の鉄」は山崎さんの当たり役として、多くの人の目に焼き付けられています。

黒澤明作品に多く出演し、また、「お葬式」以降は、伊丹十三作品にも欠かせない存在として起用され続けました。

本木さんも素晴らしい俳優さんですが、存在感という点では、まだまだ山崎さんには及びませんね。

東京・神奈川・千葉・埼玉・大阪・兵庫で葬儀・葬式

本当に素晴らしい葬儀とは

告別式

この2つの映画から、本当に素晴らしい葬儀とはいったいどういうものなのかを考えてみました。葬儀は、故人へのこれまでの感謝を伝える場だと思っています。そして、逆に故人からの感謝の意が、最後に伝えられる場だとも言えるでしょう。葬儀は人が死ぬことで行われる儀式で、実際、とても悲しいことですが、「ありがとう」の気持ちであふれ、故人がこれまで生きてきたことを賞賛する機会でもあると思うのです。

私の初めての葬儀体験は、中学生の頃でした。母方の祖父が亡くなり、家族で秋田へと向かいました。私の両親が生まれ育った地域は神道の家が多く、祖父の葬儀も神式で行われたことを記憶しています。

大人になっていくつかの葬儀に参列した今、思うのはその葬儀のことでは無く、入院中の祖父の姿です。祖父の死に目には会えませんでしたし、母を含む親戚一同から、
孫達に入院中の弱った祖父の姿を見せたくない
という空気は感じていましたので、まだ存命中に会えなかったことは、私自身、今も残念に思うことはあります。もちろん、当時はそこまで考えませんでしたが…
また、葬儀のことははっきりと思い出せないまでも、会場の匂いや、お墓とその周囲の雰囲気は、しっかり覚えています。中学生になるそれまで、「死」という現実を身近に感じたことがなかった私ですが、やはり祖父の死は、私にとって印象深いものがあります。

我々人間は、それぞれが死に対する何らかの思いを持っています。多くの人は死に恐怖を感じますが、感謝や安息といった感情を覚える人もいます。今、祖父との別れを振り返ると、それは「感謝」だったと思います。

日本は現在、「高齢化社会」「核家族化」「貧困」などの社会問題を抱えています。両親が高齢で無くなり、残された子供が貧困にあえぐという現象は、もう既に現実として日本社会に暗い影を落としています。

これらの社会問題を解決する、もしくは和らげることができるのは、葬祭業であると考えます。仏式の葬儀も簡略化されるようになり、お通夜を行わない「一日葬」も多くの葬儀社がメニューへと盛り込んでいます。その他、「埋葬方法」に関しても、散骨や永代供養など、多くの選択肢があります。

高齢の方々を中心に、簡略化される葬儀や新しい形の葬儀には、抵抗があるという人も多いでしょう。

「葬儀関連サービスの未来は明るい」
多くのメディアがこのような論調です。葬儀社の数は、日本が抱える社会問題を背景に増え続けています。そして、コンペティションは激化しています。インターネットをベースとした、まさしく新時代の葬祭サービスも増えてきています。このようなサービスは、何か遠い存在であったお寺や葬儀社を、我々に近づけてくれました。特定のお寺の檀家ではなくとも、このようなサービスを利用すれば、葬儀関連で我々が困っていることを解決してくれます。

葬儀に関しては、現在も「核家族化」の影響を大きく受けていない地方では、高齢者を中心に、伝統を重んじる方々が大きな影響力を持っていると考えられます。ただ、最近は大都市圏内のみならず、多くの地方都市で、「核家族化」が深刻になっています。変わることはかんたんな事ではありませんが、変化が求められていることは切迫した事実でもあります。

人間は「生きる」ことを意識すると、同時に「死」も意識します。その裏返しもまた真です。「出会い」と「別れ」がセットであるように、「生」と「死」もセットであることを我々は知っています。葬儀には、単純に人間ドラマとして片付けるわけにはいかない人間臭さが詰まっています。本当に素晴らしい葬儀は、とても「人間くさい葬儀」なのではないかと思いながら、多様化する葬儀の未来を思わずにはいられないのです。


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