本当に素晴らしい葬儀とは

2018年06月12日 15時54分

この2つの映画から、本当に素晴らしい葬儀とはいったいどういうものなのかを考えてみました。葬儀は、故人へのこれまでの感謝を伝える場だと思っています。そして、逆に故人からの感謝の意が、最後に伝えられる場だとも言えるでしょう。葬儀は人が死ぬことで行われる儀式で、実際、とても悲しいことですが、「ありがとう」の気持ちであふれ、故人がこれまで生きてきたことを賞賛する機会でもあると思うのです。
 
私の初めての葬儀体験は、中学生の頃でした。母方の祖父が亡くなり、家族で秋田へと向かいました。私の両親が生まれ育った地域は神道の家が多く、祖父の葬儀も神式で行われたことを記憶しています。
 
大人になっていくつかの葬儀に参列した今、思うのはその葬儀のことでは無く、入院中の祖父の姿です。祖父の死に目には会えませんでしたし、母を含む親戚一同から、
孫達に入院中の弱った祖父の姿を見せたくない
という空気は感じていましたので、まだ存命中に会えなかったことは、私自身、今も残念に思うことはあります。もちろん、当時はそこまで考えませんでしたが…
 
また、葬儀のことははっきりと思い出せないまでも、会場の匂いや、お墓とその周囲の雰囲気は、しっかり覚えています。中学生になるそれまで、「死」という現実を身近に感じたことがなかった私ですが、やはり祖父の死は、私にとって印象深いものがあります。
 
我々人間は、それぞれが死に対する何らかの思いを持っています。多くの人は死に恐怖を感じますが、感謝や安息といった感情を覚える人もいます。今、祖父との別れを振り返ると、それは「感謝」だったと思います。
 
日本は現在、「高齢化社会」「核家族化」「貧困」などの社会問題を抱えています。両親が高齢で無くなり、残された子供が貧困にあえぐという現象は、もう既に現実として日本社会に暗い影を落としています。
 
これらの社会問題を解決する、もしくは和らげることができるのは、葬祭業であると考えます。仏式の葬儀も簡略化されるようになり、お通夜を行わない「一日葬」も多くの葬儀社がメニューへと盛り込んでいます。その他、「埋葬方法」に関しても、散骨や永代供養など、多くの選択肢があります。
 
高齢の方々を中心に、簡略化される葬儀や新しい形の葬儀には、抵抗があるという人も多いでしょう。
 
「葬儀関連サービスの未来は明るい」
 
多くのメディアがこのような論調です。葬儀社の数は、日本が抱える社会問題を背景に増え続けています。そして、コンペティションは激化しています。インターネットをベースとした、まさしく新時代の葬祭サービスも増えてきています。このようなサービスは、何か遠い存在であったお寺や葬儀社を、我々に近づけてくれました。特定のお寺の檀家ではなくとも、このようなサービスを利用すれば、葬儀関連で我々が困っていることを解決してくれます。
 
葬儀に関しては、現在も「核家族化」の影響を大きく受けていない地方では、高齢者を中心に、伝統を重んじる方々が大きな影響力を持っていると考えられます。ただ、最近は大都市圏内のみならず、多くの地方都市で、「核家族化」が深刻になっています。変わることはかんたんな事ではありませんが、変化が求められていることは切迫した事実でもあります。
 
人間は「生きる」ことを意識すると、同時に「死」も意識します。その裏返しもまた真です。「出会い」と「別れ」がセットであるように、「生」と「死」もセットであることを我々は知っています。葬儀には、単純に人間ドラマとして片付けるわけにはいかない人間臭さが詰まっています。本当に素晴らしい葬儀は、とても「人間くさい葬儀」なのではないかと思いながら、多様化する葬儀の未来を思わずにはいられないのです。